私は走馬灯を見たことがある。
・・・いやいやいや!ちょっと待って!ブラウザの戻るボタン押さないで!
胡散臭い話じゃなくて、(一応)自分でも納得できた走馬灯が見えるメカニズムについてもお話するので、おやつでも食べながら読んでくださいませ。
ね!
走馬灯とはなんぞや
「走馬灯のように思い出す」とか「走馬灯のように過去って」というような言い回しを見聞きしたことがありますよね。
え、ありませんか?
ありますよね。
私ももちろん走馬灯という言葉は知っていたし、なんとなくだけど記憶が早送りで一気に流れる不思議な出来事で、死ぬ間際に見えるんだか見えないんだか・・・まぁ体験することなんてないだろうし、体験するにしてもこの世から消えるときだから「走馬灯ってこんな感じなんだぜ!」なんて誰かに話せるようなもんでもないだろうなと思っていた。
つまり、その走馬灯という現象が存在するかどうか分からないけど、あの世を見てきたとか宝くじで1等5億円が当たった!レベルの自分には縁のないことだと思っていたわけね。
皆さんにとっても、走馬灯というのは何だかあやふやで怪しげな現象で、そういうもんがあるらしいくらいの感覚じゃない?
うん。それが走馬灯の認識だよね!
見た!?いつどんなときに見たのか!?
死の間際に見るという走馬灯。
私はそれを見ながらこれを書いているわけなので、死なずして走馬灯を見たということになる。
一体いつ見たんだ!!!
時を遡ること21年前(ずいぶん遡る)私は大学生だった。
真夜中の3時、私は大学のある富山から実家の新潟へと車を走らせていた。
真冬の2月、大雪が降る真夜中の新潟。
当然道路にもたくさんの雪が積もっていて、一面真っ白な世界を私の車のヘッドライトだけが照らしていた。
前後に車はなし。
対向車もなし。
開放的な道路に自分1人の世界。
バックミラーには、自分の車が舞い上げた粉雪が綺麗に舞っているのが見え、とても幻想的だった・・・
ただただ白い世界・・・
って、この綺麗な景色だけ見て満足しときゃいいのに、当時の私はですね、WRCというラリー競技に憧れを抱いていて、雪道で車をドリフト(車を滑らせる走り方ね)させたくて仕方なかったのよ。
で、周りに車もいなくて降りたての粉雪が舞う中で、ちょっと調子にのってアクセルを踏み込んでハンドルを切ってみたのよ。
そしたらまぁ、キレイに車が滑ってくれて、バックミラーに映る粉雪も今までの何倍もの量で舞い散るわけですよ。
それがまぁ嬉しくてね。
調子に乗ってもう一回。
更に調子に乗ってもう一回。
いやー、気持ちいいわー!!!
でもここから先は、ちょっと道が細くなるから普通の運転に戻そう・・・そう思った瞬間、車がフワッと左を向いたんだ。
うわっ!あぶね!と、慌ててハンドルを右へ。
すると、車は急激に右向きに回転して今度は対向車線を越えて壁に向かってまっしぐらに進みだした。
なっ・・・なんだ!?と、今度は慌ててハンドルを左へ。
もう
この時点で私はパニックになっていた。
最初は左へ90°、次はそこから右へ180°、そしてまた左へ180°と、車は半回転を繰り返しながら進行方向から真横を向いた状態で左側へ突っ込んでいったんだ。
道路の左側、そこは高さ3mほどの落差があり、その先には雪に覆われた広大な田んぼが広がっていた。
街灯もない広大な暗闇に向かって突っ込んでいく車。
「うわぁぁぁぁ!!!」
あぁ・・・大きな声で叫んでいるなぁ・・・と、大声を出す自分何故か冷静に分析している感覚と同時に「こんな目に合うはずがない!これは夢だ!」という現実逃避の感覚が入り混じった不思議な気持ちを体験していた。
もう車は制御不能で3mの段差に頭を突っ込んでいる。
「ぐうわぁぁぁ!!!」
車が宙に舞ったその瞬間、目の前が白く輝いたんだ・・・
見えた
目の前が白く、そして強く輝いた瞬間、幼稚園のときにプールで泳いでいたときの映像見えたんだ。
思い返せば、この頃はまだ泳げなくてプールの水を飲んでは咳込んでしまう(かわいい)子供だった。
そのときのプールの映像が見えた・・・と思ったら、そこからはもう一気に過去の記憶が鮮明に流れてきたんだ!!!
幼稚園のプール⇒幼稚園で先生に怒られている記憶⇒初めて自転車に乗れた時の喜び⇒小学生時代の転校の思い出⇒初めての焼肉⇒初めての喧嘩⇒初めて食べた大盛ラーメン・・・
忘れていた高校生の頃の記憶
大学1年目の記憶
1週間前の食事
一昨日の寝起き
昨日浴びたシャワー
昼間食べたラーメン
さっき吸ったタバコ・・・・
全て
覚えていることも、忘れてしまっていたことも全て
今までの全ての体験が鮮明に順番に、そして一気に映像として流れていったんだ。
幼稚園から小学生、反抗期の中学生と高校生、大学入学・・・去年、先月、先週、一昨日、昨日、今朝、昼、ついさっき・・・
走馬灯だ・・・
このとき、意識の概念が「意識がある」なのか「意識がない」なのかは、今でもちょっとわからない。
けど、ハッキリと映像で全ての記憶が見えたのは間違いなかった。
そして、その中には忘れてしまっていた記憶がたくさん紛れ込んでいた。
不思議
あの体験は、これ以外の言葉では表現できない。
走馬灯が解けた後
走馬灯が解けたとき、私の車はまだ宙を舞っていた。
きっと走馬灯を見たのは1秒に満たない、まさに一瞬だったのだ。
そして、走馬灯から解放された私はまだ大声で吠えていた。
「うぉぉぉぉぉ!」
車は3mの高さから田んぼに向かって突っ込み、たまたまそこに立っていた電信柱に激突して大破したのであった。
あの電信柱がなかったら車が縦回転して潰れてしまい、命は無かったかもしれない。
幸運にも命は助かり、奇跡的に右膝の打撲だけで他は無傷の状態で車から脱出することができた。
その後、アチコチに電話をして警察にも来てもらった。
駆け付けた2名の警官は、車の状態からして運転者である私が無傷なことに疑問をもち、何度も何度も「本当にあなたが運転していたのか?」「運転者をかばっていないか?」「くどいようだが、本当に運転していたのはあなたか?」と聞いてきた。
確かに自分でも、あの状況で打撲だけで済んだのが不思議だったけれども、無傷なもんは仕方なかろうて。
走馬灯に助けられたのかもしれないな・・・
うん。
走馬灯のメカニズム
いやー、この大事故から数日間は両親から目玉が飛び出るほど怒られるわ、怒られすぎて私も逆切れして喧嘩するわで大変でありました。
ま、全部私が悪いんですけれどもね。
事故後のあれやこれやが一段落したところで、私はあの夜体験した走馬灯について調べてみたんだ。
確かに走馬灯は見えたんだけど、夢のような体験だったから気になって仕方なかったからね!
当時はまだインターネットが普及していなかったから、webで調べることもできず図書館で心理学の本やら臨死体験の本なんかを読み漁って色々な情報を得たんだ。
たくさんの胡散臭い情報に交じって、ようやく自分でも納得できる走馬灯のメカニズムを見つけることができたのは数ヶ月後だった。
そのメカニズムとは
不要機能のシャットダウン
人間は己に死の危険が迫った瞬間、その死から逃れるためにその場に不要な機能全てをシャットダウンするんだって。
死の危険が迫ったときに、「この唐揚げちょっと薄味だよね!」とか「このカレー辛っ!」なんていう味覚は不要だよね。
シャットダウン。
同じく、「今日は暑いですなぁ」とか「ハワイは湿度が低くて快適~」なんていう温度や湿度に関する機能も不要。
シャットダウン!!!
こうやって、死から逃れるために不要な一切の機能を全てシャットダウンする。
エネルギーを脳へ
そして、不要な機能をシャットダウンして、そこに使っていた全エネルギーを脳に送る。
全エネルギーを脳に送り、過去の記憶全てを探る。
過去の経験の中に、この危機的状況から逃れる術はないのか。
助かるための手段が記憶の中にないのか。
探る。
自分の命を救うために全ての記憶を探る!!!!
そして、その脳がフル回転して全ての記憶を辿る作業が映像となって見えるのが走馬灯!
ってね、これが一番納得できた走馬灯のメカニズムだね。
なんか理にかなっているじゃないの!
なんとかして助かる方法はないのか!って、私の脳は一生懸命に回転してくれたわけね。
結果として命が助かったわけだから、無意識に電信柱に向かて突っ込んだのかもしれないし、衝撃を吸収するような体の動きをしていたのかもしれないし・・・
定かじゃないけど、きっと走馬灯が私を助けてくれたんだよね!
うん。
走馬灯、ミステリアスで頼れるヤツだったぜ・・・
あ、そうそう!
さっき紹介した走馬灯のメカニズムでいくとね、普通は色覚もシャットダウンするから、見える走馬灯って白黒なんだって。
でも、私が見た走馬灯はフルカラーハイビジョンだったんだよ。
きっと、色覚シャットダウンが間に合わなかったんだね!
はっはっは